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マラッカ王国は、明王朝(現在の中国)と血縁関係を築き、朝貢の優等生国として防衛上のバックアップを得る一方で、イスラム教を受け入れることによりアラブの商人をも獲得し栄華を極めることになる。

後の支配者となったポルトガル人作家によると「16世紀初頭、マラッカはその重要性と利益の点で、コレに匹敵する都市は世界中を探しても見あたらないと思われる(中略)マラッカは商品の交易のために創られた都市で、その点については世界中のどの都市よりも優れていると思われる」という記録を残している。

繁栄期を迎えたマラッカ王朝が、どのような政治体制で国を確立していたかについて本章で探ってみたい。その前に重要な史実を説明しておこう。アラブの商人を獲得するためにイスラム教を受け入れたマラッカはもう一つ貴重なモノを手に入れた。それは「文字」である。建国の時代にマラッカ王国で使われていた言語はマレー語(インドネシア語)であるが、当時マレー語には文字がなかったのでR。
マレー王室に関する書物はアラビア語で書かれている。写真はマラッカスタダイス博物館に展示されている写本
モハメッドの教えが書かれた教典「コーラン」に使われているジャビ文字(現在のアラビア文字)が、イスラム教と共に伝えられたのである。そして、古代文学が隆盛し「Sejarah Malayu」(スジャ・マラユ)というマラッカ王国の歴史文学書が記された。スジャ・マラユとは日本語に訳すと「マレー年代記」。ポルトガル占領以前のマレーの史実はこの歴史書を基本資料に、明王朝時代の中国の記録、およびポルトガル人宣教者がマラッカに滞在していた頃に書かれた「東方諸国記」より歴史の研究が進められている。

「マレー年代記」にはマラッカ王国時代の街の風物、交易品などはもちろん、王家の系図、王宮の建築構造などが細かく記載されている。マレーシア独立後に再建された「マラッカ・スルタン・パレス」(現在は王宮博物館として一般に公開)もこの歴史書を分析し設計図が書き起こされた。マラッカにある博物館には当時の街の様子を伝えるジオラマや絵画が展示されているが、これらも史実に基づき再現されている。
マラッカ王国が繁栄した街の様子もマレー年代記の記述を基本資料に再現されている。このジオラマはマラッカスタダイス博物館で一般公開されている
さて、マラッカ王朝はいかなる政治体制で国を統治していたか解説しておこう。イスラム教を受け入れ国教と定めた王様は自らをスルタン(俗世の支配者)を名乗り、戦争や和平に関する議決権、国民の生殺与奪権に関わるすべての権力を持っていた。「参議」や「評定衆」など開かれた政治システムはなくスルタンの独裁的ともいえる政務が行われていた。

といっても、やはり補佐は必要。ということで現在の政治体制では首相にあたる「バンダハラ」と、海軍提督にあたる「ラクサマナ」、警視総監にあたる「トゥムンゴン」という家臣を従えていた。スルタンはこれらの高級官僚と協議しながらすべての政務を取り仕切っていたとされている。

法律的にはイスラム法と海洋法、二つの法律を採択していた。イスラム法では権力が濫用されたり、公正な審判が行われなかった場合の処置に関して多くの記述が見られる。また、召使いや奴隷の人権を認める記述もある。一方、海洋法では船長の権限、士官・船員の権利などを定めている。いずれの法律も14世紀という時代背景を考えると整った法律であるといえるだろう。

余談であるが、1477年に国王となった「スルタン・アルディン・リアヤット・シャー」は自ら町人姿に身をやつしマラッカの街を練り歩き、人々の暮らしを観察して廻った。法秩序が守られているか、適正な交易が行われているか、正義が行われているか?をチェックしていたのでR。マラッカ版「水戸黄門」ともいえるだろう。ドラマ化するのにピッタリの題材ですな。いや、ちょと待て!時代を考えると、日本は戦国時代で織田信長の全国統一よりも100年ほど前のこと。水戸のご老公よりずっと前の話、ひょっとするとマラッカが本家?

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