時には被写体に恵まれたり、光と影が偶然に良い味出してくれて「あぁ、この写真いいな~」と自己満足できる写真が撮れたりします。カメラマンの腕じゃなく、偶然の産物ですから毎日撮れるワケじゃありません。
ネパールの首都、カトマンズのタメル南西部に位置する「ダルバール広場」。白亜の御殿を撮ってみました。ユネスコ世界遺産に登録されている歴史的建造物がゴロゴロしているエリアなのでネパールに旅に来た外国人観光客のほとんどすべての人が一度は見物にやってくる場所です。
同時に、地元の人たちにとってもショッピングや散策を楽しめるストリートなので曜日を問わずいつもにぎわっています。
上の写真は合成写真ではありません。たまたま気になっていた獅子(写真左下)を撮ろうとした時、ファインダーにてんこ盛りのお寺が入ってきたのでズームを効かせてアングルを決めたおかげで偶然に撮影できた一枚です。
時刻は現地時間で午後4時をちょっと廻ったところ。この時期カトマンズ市街地では午後4時40分頃に太陽が、山に沈みます。夕暮れ直前の間接的な太陽光が優しいコントラストを与えてくれたおかげで撮れた写真です。
筆者が滞在しているタメルのホテルのルーフトップ(屋上)から捉えた夕陽。夕陽の時間を狙って屋上で待機していました。ご覧いただいてもお解りいただけるように、太陽がカトマンズ盆地を囲む山に沈む15分ほど前に雲にさえぎられてしまいました。
「今日はダメだ!撮れないな~」とあきらめて、屋上ガーデンで紅茶を飲んでボケーとしていたら、山に沈む直前に太陽が姿を現してくれました。雲の上側からも扇状に広がる後光が差して幻想的な一枚が撮れました。
スワヤンブナートの近くの民家で遊んでいたやんちゃそうな子供を発見!カメラを構えてみたら動きを止めて固まってくれました。右の子はカメラ目線をくれましたが、左の野球帽の子は筆者の右後ろにいた水牛に見とれていたようです。
実は、ネパールであちこち散策している際に人物の写真をいろいろ撮らせていただきました。紹介していないショットがほとんどなのですが、ネパールの人たちって写真に慣れていないのか?写真を撮られるのか好きなのか?理由はわかりませんがとっても素直な被写体です。
言い替えれば「とっても撮りやすい」のです。恥ずかしがったり、緊張したりしないのが特徴です。ヘンにポーズをつけないし、突き刺すようなカメラ目線をくれるのが印象的です。風景の写真を撮ったりしているとどこからともなく現れた女子高生が「スミマセン、迷惑じゃなかったら私たちを撮って下さい」と言い寄ってきたりします。
チラッと振り返るとコチラがお願いしたくなるような美人だったりする(笑)のでアングルを変えて2~3枚撮っていると、別の少年たちのグループが「オイラたちも撮ってくれよ!」と近づいてきます。
筆者が悪いことをしない善人に見えるのか?人柄が良さそうに見えるのか?みんな馴れ馴れしい口調でやって来ます。「あぁ、いいよ次に撮ってあげるからちょっと待っててね」と次から次へと子供もオトナも赤ちゃんも、そしてワンちゃんもやって来ます。撮影しても再会して写真が渡すコトができないかも知れないのでメールで送るからe-mailアカウントをこの紙に書いてと渡しますが、驚くべきコトに皆さんホットメールやヤフーメールの無料アカウント(推察)をグループの誰かが持っています。
マラッカでは、普段カメラを持ち歩いても「オイラを撮ってくれ!」という子供に出会ったりしません。たまにレンズを向けると恥ずかしがられてそっぽを向かれてしまいます。よく考えると、マレーシアは裕福な国で一家に一台以上のカメラがある環境なのです。つまり、カメラというのはごくあたりまえの道具で、それを使って撮影する写真はとても身近なモノなのです。だから見知らぬヒトに撮られるのがイヤなんでしょうね。
世界最貧国としてランク付けされているネパールでは、カメラが貴重品で個人の所有にはほど遠い珍しいモノなのかも知れません。だから、変な意味でカメラ・ズレしていない子供たちが多いのじゃないかな?という感想を抱きました。
日本ではカメラ付きケータイ電話の普及のおかげで、一億総カメラマンとなっています。デジカメも普及が定着しカメラはあたりまえの道具として身近に溢れています。便利な世の中になった反面、悲しいニュースも聞こえてきます。誘拐犯が脅迫文と一緒に被害者の写真も送ってくる事件もあったそうですね。
モノが溢れ、人の暮らしが豊かになることで安易に人殺しができる世の中にはなって欲しくない。日本もちょっと前まではカメラが貴重品でした。ちょっとオシャレに着飾ってカメラの前で幸せなその時を記録した頃の笑顔を忘れたくない気持ちです。
不幸にも被害にあわれた方のご冥福を祈ります。