Foodは風土 その土地でしか味わえないB級グルメ攻略法
旅行の楽しみのひとつは、その土地でしか味わえない味に出会うこと。”Food”は「風土」ともいえるのではないでしょうか。多民族国家であるマレーシアでは、様々な民族料理を召し上がっていただけます。オープンエアの屋台村(ホーカーズ)で味わうB級グルメは早くて美味くて安い三拍子そろっています。
「マレーシア料理」をはじめ、中華料理(北京・四川・福建・潮州・海南・広東他)、インド料理(タミール・スリランカ・パンジャビ)、タイ料理、シンガポール料理、インドネシア料理、タイ料理などが本場の料理人が本格的な料理を提供しています。
マレーシアの古都「マラッカ」では地元マレーとチャイニーズの混血によるババニョニャ民族の「ニョニャ料理」や、マレーとインド系の混血による「ママッ料理」とか「チィッティ料理」、そして初代占領者の子孫(ユーラシアン)が今に伝えるスパイスの効いた「ポルトガル料理」も味わえます。下記のコンテンツリンクからお進み下さい。
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大航海時代、胡椒は金と同量でトレードされていた
16世紀の大航海時代の幕開けの頃、東南アジアで栽培されていた胡椒やナツメグ、ターメリックなどの香辛料は西欧諸国で、金と同量で取引していた高価な物だったのです。大航海時代の覇者ポルトガルがアフリカ大陸南端の喜望峰を回航しインドに到達し、やがて艦隊はマラッカに到着。
当時のマラッカ王朝は、500を越える外国語が飛び交う国際交易港湾国家として海のシルクロードを支えていました。東は明王朝(現在の中国)、西はインドやアラブの商人がマラッカに集まり絹織物、陶器、茶葉、珈琲、香辛料、銀、錫、ガラス製品、ペルシャ絨毯などを交易トレードしていました。
初めてマラッカにたどり着いたポルトガル艦隊の書記官は「世界で最も繁栄した国際都市がマラッカ」と評した記録が残っています。貴重な香辛料がタダ同然で手に入る南洋の街は魅力的だったのでしょう。マラッカ王朝は大航海時代に帝国主義の犠牲となってしまい1511年ポルトガルに植民地支配されました。
多民族国家だから本場の味が味わえるB級グルメ天国
以来、宗主国はオランダ、イギリス、そして日本と入れ替わり1957年にマレーシア連邦として独立するまで受難の時代が続きます。その間にも働き手として中国、インドからの移民を受け入れたマレーシアは茶・錫・天然ゴムなど天然資源に恵まれた地域として発展を続けます。
イギリス資本の茶の農場にはインドからの移民、錫鉱山開発と天然ゴム農園にはアヘン戦争で疲弊した清朝末期に、中国からの大量の移民が押しかけました。こうした移民が多民族国家の礎を築いたのです。
こうしたおかげで、21世紀の現在マレーシアではさまざまな国と地域の料理が、本場の味で楽しめるB級グルメ天国となったのです。
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